巧拙

立て続けに新作を聴いたこともあり、自戒も込めて「作曲の巧拙を決める最も根源的な要素は何か」ということを考えている。


結論としては、作曲者の自作品に対する「冷たい眼差し」だと思う。
それがないと、新ロマン主義を志向するまずい作曲家は、得てして「街中を裸で闊歩することが芸術だ」と言わんばかりの稚拙なポエムを聴衆に投げつけるし、複雑系を志向するまずい作曲家は、得てして「新しい音楽」と「新旧の概念が存在しない音楽」とを混同し、客観性を失ったエゴの中で作品を自己完結させる。こうして、公の場に出すものとは思えないようなおぞましい作品と「作曲感想文」が平然と生み出される。
このような作品は、作曲者が自作品(または自分自身)を客観視できるのなら修正されて然るべきだと思うのだが、それを修正しないということは、恐らく作曲者が自分自身の価値観や美的感覚を相対化できていないのだと察する。相対化することができれば、どのようなスタイルの作品を書くにせよ、少なくとも稚拙なポエムを書くことだけは避けられるはずなのだけど。
そういった作品に触れるたび、未熟な作品が「理解のある身内」によって評価されるようなアマチュアリズムの世界には身を置きたくない、という思いを新たにする。