飼い猫が亡くなった。
家にはかつて4匹の猫がいたが、7年前に1匹亡くなり、そして昨日1匹が亡くなった。


人は「死」に触れることによって、自らの生命に対する姿勢を厳然と問われることになる。その問いとは、「あなたはどのように生と、あるいは死と向き合うのか」という問いである。
死を「見なかったことにする」のか、または無視するのか、それとも受け入れるのか。死後の世界の存在を仮定することによって、平穏を得るのか。


多くの人は、来たる死への回答を留保し、日常生活に埋没することで思考を停止させていると思う。それは日常生活を続けるためには当然のことだ。
しかし、いずれ私達は等しく死ぬ。つまり誰にも、生命に対する姿勢を問われる時が必ず訪れる。死から断絶された現代の日常生活の中では忘れられがちだが、当然ながら、突然自分の生命が失われることも有り得る。その時、私達が現在持っている、死へ回答する権利は永遠に失われる。
そうであるなら、生命の一回性と不可逆性に気付いた者から回答をしなければならないだろう。


死は、私達の生命に対する姿勢を問いただし、レスポンスを要求する。
私は、死に対する思索と回答を続けていきたい。そうすることによって、あらゆる生命の生と死を深く意味付け続けたいと思う。
それによってしか、私は死の厳しさ、悲しみと向き合うことができない。